こんにちは。ウメです。
少ないもので生活すると、非常に楽に生きられます。
そういう時でも、時々「もっと良いものが欲しい」という物欲に揺さぶられることもあります。
ミニマムにシンプルに生きたいのに、やっぱりいつの間にか物欲の罠にはまっていることもあります。
今日は、なぜ、物欲が出てくるのか?そして、誰かが持っている何かが欲しいと思って買う買い物は正解なのか?を考えてみます。
洋服やバッグが常に欲しくなるのはなぜ?ブランド品をいくつも買いたくなるのは何で?
例えば、友人やママ友が、皆素敵な洋服を着ていて、自分だけが地味な服を着ていたら…。
ここで、私は考えます。「もっと素敵な服が欲しい」
そして、洋服を買いに行く。
次に、素敵なブランドバックを持った友達に出会います。ここでまた、私は思います。
「もっと素敵なブランドバッグが欲しい」
そして、ブランドバッグが欲しくなります。
物が欲しくなるきっかけは色々です。しかし、誰かが持っていると欲しくなるというのは、誰にでも当てはまる事ではないでしょうか?
そして、延々と満足の行かない買い物を続ける事になるのです。
この買い物には、自己つまりは自分の意思があるようで、実は「他人からどうみられているか」を気にする自分がいます。
そして、他人からどう思われるかを意識して買い物をしてしまうことだってあります。それも、気が付かずに。
比較するときりがなく、上には上がいます。それはもう、見えないくらい上がいる。
でも、もっといい暮らし、もっと豊かになりたい。と考えるあまり、一生懸命働いたお金を使ってしまうのはもったいないと感じませんか?
容姿や持ち物を気にしすぎなければ、お金が貯まる
もし、比較の世界にいなければ、私達は、沢山のバッグが必要でしょうか?
誰にも見せないのなら、沢山の洋服が必要でしょうか?
毎回変わる携帯の機種や、新しい電化製品。
まだ使えるものがあるけど、やっぱり新しい機能が欲しい。
そう思って買う物は、本当に人の目を気にしていない買い物でしょうか?
そう、心のどこかで、「私だって、このブランドバッグ買えるんだから。」「私だって、素敵だと思われたい。」と思う心があるのではないでしょうか?
ブランド物を買ったっていい。物欲があったっていい。でも大事なのは…
ブランド物を買う事が悪いといいたいのでありません。一流ブランドというものは、やはり良いものです。
素晴らしい質、デザイン、何年たってもヘタレない強さ。そのブランドに長く伝わる伝統。技術。
どんなデザインにも合う使いやすさ。
私は、10年以上愛用しているブランドバッグがあります。
もちろん、ブランド物を買うこと以外にも、洋服や靴は生活していくうえで、必要な物でしょう。
でも、ここで言いたい買い物とは、「同じような物がある、使えるものがある」にも関わらず、「同じようなバッグ、服を買ってしまう」という心理です。
そして、なぜ、同じような物を買ってしまうのか?買っても買っても満足しないのか?という事は、大きな心理が隠されているのです。
コンプレックスで買い物をしない
ここでいう、買い物欲求とはどんなことを意味しているかというと、
「誰かに認めてもらうために買う買い物」の事です。
こういう、人からの評価を気にしすぎると、自分が自分でいられなくなってきます。
自分が本当に欲しいもの、自分がしたいことが見えなくなってくるのです。
以前の私がそうであったように、コンプレックスを揺さぶられると、買い物に走ってしまうことだってあります。
例えば、「肌がきれいになりたいと、高いエステを組む」「髪の毛がごわごわで嫌。毎月美容室に通って、高いトリートメントを受ける」
こういうお金の使い方は、その時は満足が行く買い物でも、すぐにまた、お金を使ってしまうのです。
私自身、もっと若い頃はきれいな人を見るたびに「いいなぁ」とうらやんでいました。
あの人のファッションセンスがうらやましい。
あの人の仕事がうらやましい。
あの人の顔がうらやましい。
人を認めたり、きれいだと褒める事は悪い事ではないのですが、人をうらやんで買い物をしても幸せになれないのです。
それは、比較しているから。
誰も、私とあの人を比較していないのに、比較されていると思う。
そして、駄目な自分を受け入れらなくなる。
コンプレックスで買い物をするときりがないのは、他者との比較があるからです。
普通じゃダメなの?普通って勇気がいるの?
私達には、向上心があり、「もっとこうなりたい。」という気持ちがあります。しかし、その気持ちが強すぎると、今の自分を認めてあげられない自分が出てきます。
そして、その気持ちを覆い隠すように、買い物に走るのです。
「買い物依存症」や「隠れ貧困女子」 になってしまうのも、強烈なコンプレックスが根底にあったりします。
でも、ちょっと立ち止まって、考えてみます。
本来のあなたのままで、いいのでは?
もし、きれいじゃない、おしゃれじゃない。というコンプレックスがあったのなら、
普通では駄目なのでしょうか?
何をもって普通というのかはこの際、置いておいて。
普通でいるという事は、もしかしたら勇気がいることなのかもしれません。
他者と比較して生きてきたら、それをくつがえすのは、難しいかもしれません。
しかし、それで、お金を散財するのはもったいない。
誰かと比較して、物を買ったり、誰かに負けじと美容にお金をかける事が、幸せなお金の使い方ではありません。
自分が何者かを知る
職場で20代の女の子たちと話をしていると、「お金が貯まらない」という話を聞きます。何に使っているかと聞くと、「化粧品、エステ、洋服」この3神器です。
私は、この3神器に随分お金を使いましたし、今でも油断すると無駄遣いしそうになります。
それほど、女性にとっては心揺さぶられるものなのだと思います。
ですが、あの人と同じブランドの洋服を着ても、あの人にはなれない。
あの人と同じエステに通ってもあの人にはなれない。
誰かになりたい、近づきたいという事で買い物をしても、満足がいかないのはそこだと思います。
本当は、自分には違う服が似合うのかもしれない。
本当は、もっと満足いくことにお金を使いたいのかもしれない。
私が私自身を受け入れ、あなたがあなた自身を受け入れられると、本当に欲しいもの、欲しくないものが自ずと見えてくるものです。
ちょっとした、感情に揺さぶられないで。
冷静なお金の使い方が出来れば、思いのほか、無駄遣いが減ってくるのです。
この本を読んで、そんなことを考えていました。
ちょっと深くて私には難しい本でしたが、アドラー心理学に基づいた、自分を受け入れるという事を教えてくれる本です。
ウメでした。
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